「坂本龍一が選曲を引き受けた店」にBGMは流れていなかった/ニューヨーク「Kajitsu」訪問記

 先日、こんな記事がネット上で話題になりました。

坂本龍一がお気に入りのレストランのためにプレイリストを制作。ニューヨーク・タイムズ紙によれば、このレストランで流れる音楽があまりにも酷いため、坂本龍一がレストラン側に選曲を引き受けると提案して実現したそうです。
 
このレストランは、坂本龍一の自宅近くにあるというニューヨークのマンハッタンにある「Kajitsu」。(後略)
坂本龍一 お気に入りのレストランの音楽があまりにも酷いため選曲を引き受ける - amass

 
 (タイトルの面白さもあってか)かなり拡散されたので、目にした人も多いんじゃないでしょうか。
 ちなみに、元になっているのはThe New York Timesに掲載されたこちらの記事(かなりボリュームのある内容で、機械翻訳でざっと読んでみただけでも興味深い箇所がいくつもあったので未読のかたはぜひ)。

 国内では「余計なお世話だ」的な指摘も目にしましたが、個人的にはすごく面白い話だと思いました。
 何しろ、世界の坂本教授をしてわざわざ「選曲させてほしい」と申し出るほど気に入っているお店。どんな料理が味わえるのか興味が湧いて仕方ありません。
 
 折しも、8月半ばにニューヨーク観光の予定を立てておりました。
 チケットやホテルの類は手配済みで、あとは美術館・博物館・観劇・食事など、どこをどのように廻ろうか――と計画中の段階でこの記事に出会ったので、絶好のチャンスです。
 基本的に僕は、旅先ではその土地の食べ物や料理を味わいたいと思ってます。しかし、この記事で紹介されているKajitsuは和食、それも精進料理のお店。わざわざニューヨークで精進料理を食べなくても……と少し迷いましたが、やはり「坂本龍一が選曲を申し出るほどの店」への好奇心は抑えきれない。
 結局、ニューヨーク滞在2日目の夜に予約をとりました。そろそろアメリカの味に舌が疲れてきたり、日本語が通じる場所が恋しくなってきたりするタイミングなんじゃないかな、と予想して。
 
 そんな経緯で訪れたKajitsu。
 結論からいって、実に素晴らしいお店でした。
 メニューは懐石料理のコースのみで、日本酒のペアリングと合わせていただいた結果、諸料金込みで1人200ドル超。物価の高いNYC(ニューヨークシティ)・マンハッタンのなかでもなかなか値の張る部類です。でも、仮に日本国内で同じ料理を同じ値段で出されたとしても、(日常的に通えるかどうかはともかく)けっして高すぎるとは思わない。それくらい素晴らしかった。もし身近にあったら、なにかの記念日のたびに行きたくなることでしょう。
 
 コースの内容を振りかえりつつ、実際に訪れてみてわかったことなどを書き留めてみます。

BGM

BGM

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異国のなかの異国

 ニューヨークと聞いて多くの人が思い浮かべるエリアといえばマンハッタンでしょう。
 その中心部のなかの中心部にあるのがタイムズスクエア。
 
 そこから徒歩10~15分くらいの距離、ブロードウェイの喧騒がうっすら聞こえるようなエリアにKajitsuはあります。
 今夏のNYCは気候が安定しないらしく、僕の滞在中だけでも急な雨に何度も降られました。宿からKajitsuまでGoogleマップの案内に従って慣れない道を歩く途中でも、急なにわか雨に襲われる始末。
 いかにもアメリカといった佇まいの年季の入った建物がびっしりと並ぶなか、一軒の建物の窓の向こうに、見慣れた異国の風景が目につきます。間違いない、あそこだ。
 

 建物のおもてには「Kajitsu 嘉日」と書かれた木の看板。歩道から階段を数段降り、入口を通ると、そこには日本料理店そのものの光景が広がっていました。
 
 受付には若い白人女性の姿。
 ここは「Hello」と言うべきなのか? それとも「こんにちは」?
 迷っていると、「いらっしゃいませ」と流暢な日本語で迎えられました。
 名前を告げ、靴を履いたまま二階へ。この建物の二階がKajitsuで、一階は姉妹店のKokage(こかげ)となっています。

 二階はカウンター席とテーブル席。カウンターは僕の予約席以外すべて埋まっており、テーブル席にも数組の姿が見えます。
 カウンターの隅に着席すると、白いワイシャツに黒のネクタイを締めた若い白人男性からメニューを差し出されました。
 メニューは日本語と英語が併記されていますが、彼の説明は日本語2割の英語8割くらい。あとで訊いた話だと、彼の奥様が日本人で、彼自身は日本語を勉強中だそうです。「日本語がヘタでごめんなさい」なんて謝られてしまったけど、とんでもない! 発音が綺麗でとても聞き取りやすい日本語でした。
 
 Kajitsuのメニューは、月替わりのコース料理のみ。全8品の「Hana」($95)と、そこに2品をプラスした計10品の「Omakase」($120)の2択です。
 また、飲み物は単品で注文する以外に、コースに合わせた日本酒やお茶のペアリングも選べます。
 季節の食材を活かした月替わりのコースに、お酒またはお茶のペアリング――僕の大好きな押上のお店・スパイスカフェのディナーと同じですね。ワクワク感しかありません。

 せっかくなので今回は全10品の「Omakase」に、日本酒8種類のペアリング「Sake Pairing Regular」$65(「Sake Pairing Premium」$125もあり)をお願いしました。
 

精進料理であることを忘れてしまう精進料理

先付 Seasonal Starter


▲焼き無花果胡麻クリーム掛け
 蒸し暑かった日の夕餉の一品目。器も料理も冷えているのが嬉しいです。
 胡麻クリームの下、鶏肉かなにかのように見えますがこれは無花果(いちじく)。無花果の甘酸っぱさと胡麻クリームの甘さが上品にマッチしています。すこぶるおいしい。
 先付の時点で既に、このお店が名店であることを確信。「めちゃくちゃ美味いです……」と馬鹿正直な感想を日本人の料理人さんに伝え、次の料理を待ちます。
 

汁飯 Soup & Rice


 懐石料理にもいろいろな形式があることは知ってましたが、Kajitsuの場合、二品目で早くもご飯と赤出汁が出てきました。茶懐石だとこういう順番らしいですね。

▲玉蜀黍炊き込みご飯 焦がし玉蜀黍
 焦がし玉蜀黍(とうもろこし)の香ばしさがたまりません。そういえば、7月のスパイスカフェのコースにはとうもろこしのビリヤニ(インドの炊き込みご飯)がありました。思わぬところでシンクロニシティ。

▲お椀 赤出汁仕立て
 赤出汁の具はナスかと思いきやズッキーニ。懐石料理の赤出汁って、なんでこんなに美味しいんでしょうか。おかわりが欲しくなってしまうけど、これ以上口にしたら塩気に飽きてしまうかもな、ってくらいの絶妙な分量。

向付 Mukouzuke


▲長芋と胡瓜梅肉和え
 汁飯と同じお盆に乗ってでてきた向付は、長芋と胡瓜の梅肉和え。
 ペアリングの「尾瀬の雪どけ」(群馬)がよく進みます。

口取り Signature



▲枝豆胡麻豆腐最中
 お次はまさかの最中。中身は枝豆の胡麻豆腐です。わさびも少し入っているらしく、甘みのなかにわさびのツンとした辛さが良いアクセントになっています。

八寸 Seasonal Assortment


▲新涼
 どーん。見てのとおりの鮮やかさですし、一品一品がまた素人目に見ても手間暇かかっているのがよくわかる凝りよう。いや素晴らしい。
 あと写真は撮りそびれてしまったんですが、八寸がでてくる前に、お店で使っている野菜の紹介もありました。もちろん日本から輸入している食材もあるんでしょうが、野菜の多くはアメリカ産だそうです。アメリカの食材が和食に合うのか? なんてついつい穿った見方をしてしまいがちですが、良いものもある、悪いものもあるということですね。

焼き物 Grilled


▲賀茂茄子の生麩のグラタン
 こちらはどうやら「Omakase」コースにしか無いメニューのようです。賀茂茄子も生麩もまあ美味しいこと美味しいこと。このあたりでふと「そういえばこのコースって精進料理なんだよな……?」と思いだしましたが、意識してなかったら忘れてしまうほど、とにかく満足度の高い料理が続きます。

▲天狗舞(石川)

揚げ物 Fried


▲玉蜀黍かきあげ
 玉蜀黍、今度はかきあげ。崩さずに食べるのが難しいですがこれまた美味。

お凌ぎ Chilled


▲冷やしトマト
 焼き物と揚げ物が続いたあとで、温度的にも味覚的にもさっぱりとした一品。メニューには「冷やしトマト」とありますが、お店での提供時には「トマトの冷製炊き上げ」と説明を受けました。また、かかっている氷はトマトウォーターを凍らせたものだそうです。トマト・オン・トマトウォーター。


▲玉川 純米吟醸 Ice Breaker(京都)
 Ice Breakerって全然知らなかったんですが、ロックで飲む前提で作られてる日本酒なんですね。冷やしトマトとともに、口の中を引き締めてくれます。

炊合せ Simmered


▲葛のソース、賀茂茄子、生麩、万願寺唐辛子、しいたけ、茗荷
 この丸々とした万願寺唐辛子がお見事。その下にはしいたけ。たっぷりの茗荷に隠れているのは賀茂茄子と生麩です。葛のソースがかかっており、一口一口を噛みしめるように味わいます。

▲七田 夏純(佐賀)
 店員さんに「SeasonalでClean」な味だと説明を受けたとおり、なるほど炊合せとの相性が良好。

お食事 Noodle


▲冷製うどん
 食事の〆は冷製うどん。うどんの上に賀茂茄子、揚げた西洋ネギ、トマト、そしてトリュフ。こんなにトリュフが載ってるなんて! と驚いていたら、おもむろに取り出されるトリュフ塊&スライサー。

 追いトリュフが、ばっさばっさとスライスされてゆきます。しかも、この真っ白いつゆもトリュフで出汁をとっているそうで、とにかくトリュフの香りに圧倒されまくり。

 これまでの生涯における総トリュフ摂取量を大幅に上回るボリュームのトリュフが目の前のお椀に詰まっておられる……。セルフサービスの讃岐うどんで調子に乗ってかけすぎた天かすや青ネギのような様相です(たとえが良くない)。
 こんなにトリュフを使ったらアンバランスな味になってしまいそうですがそんなことはなく、品の良い美味しさでした。

水物 Fruits


 こちらもOmakaseコースのみのメニュー。スイカのゼリーと塩バニラ。塩味で甘さを引き立てるって概念、アメリカにはあるのかな? と思いながら食べましたが、マックグリドルみたいなものがあるから全然珍しくはないでしょうね。もちろんこちらの塩バニラはマックグリドルを引き合いに出すのも申し訳ないくらい、素材の良さと手間暇のかかり具合が伺える逸品でした。

甘味 Dessert


▲どら焼き
 10品目はどら焼き。ただ、見てのとおり、ドラえもんがいつも食べているようなアダムスキー型UFO風のシルエットとはちょっと異なります。
 上下はもち粉のパンケーキで、中身は枝豆ペーストと白玉、だそうです。要はずんだ餅? と思って食べてみたら、たしかにずんだ風のお味。枝豆の粒を多めに残した食感がすごく好みですし、パンケーキや餅部分のもっちり具合とも良いコントラストになってます。

薄茶 Matcha



 最後は甘味とお茶。いろんな形の茶碗がある中から好きなものを選び、抹茶を点てていただきます。NYCの中心部で自分よりおそらく年下の白人男性に抹茶を点てていただくなんてどうにも不思議な感覚で、茶道のこともよくわからないけど、ただただ深々とお辞儀をしながら口にするばかり。
 

「坂本龍一が選曲を引き受けた店」にBGMは流れていなかった

 料理をいただきながら、日本人の料理人さんからいろいろとお話を伺いました。
 やはりNew York Times×Ryuichi Sakamotoの影響力はすごいらしく、あの記事が出て以来アメリカ国内どころかヨーロッパからもお客さんが殺到し、連日予約がいっぱいだそうです。
 
「ということは、僕みたいな日本人観光客もけっこう来てます?」
「日本人のかたは……増えてませんね」
 僕だけかーい。
 坂本教授のようにNYC在住の日本人客が多いのかな、と思いきや、普段のお客さんは日本人以外のかたが大半だそうです。とくにKajitsuは精進料理(Shojin Cuisine)を前面に打ち出しているので、ヴィーガン(絶対菜食主義者)の人たちからの支持が厚いとか。なーるほど。
 アメリカの食といったらBBQ! ステーキ! ピザ! といったイメージが強いですが、その一方で、オーガニック(有機栽培)やサステナビリティ(持続可能性)みたいな部分を重視する層の人も多いんですよね。もちろん宗教的な理由で肉食を避けている人もいるでしょう。
 日本料理を扱うお店自体はNYC中でピンからキリまで目にしますが、「Shojin」を売りにして、しかも日本人が見ても唸るほどの味や内装で存在感を発揮しているのはなんともお見事。
 
 ちなみに、Kajitsuの母体となっているのは京都の生麩のお店・麩嘉だそうです。なるほど、だから食材に生麩や京都のものが多いのか! と納得した次第。通常の日本語サイトとは別に英語のサイトを作って「WHAT IS NAMAFU?」といった説明を載せているあたり、やはり海外展開に力を注いでいるのでしょう。
 京都の老舗が直営する飲食店、というのはしばしば見かけますが、京都や東京とかではなくいきなりニューヨーク! ってあたりもすごく興味深い。今度京都へ行ったら麩嘉へも寄ってみたいです。
 
 こうした会話をしている間も、店内には坂本教授セレクトの楽曲が流れています。
 店内BGMのプレイリストはSpotifyやYouTubeでも(New York Timesの記者によって再現されたものが)公開されていますが、アンビエントやピアノソロなどが中心のいかにも教授らしい選曲。
 New York Timesの記事によると、この選曲にも試行錯誤があったようです。和食にアンビエント、といったら不釣り合いなイメージをもたれるかもしれませんが、シンプルな中にこだわりや技術を感じさせるという意味では共通してますよね。
 
「坂本さんの選ばれた曲、本当に雰囲気に合ってますね」
「いや、あのNew York Timesの記事には少し行き違いがありまして……坂本さんが選曲してくださったのは一階(姉妹店のKokage)のためで、二階(Kajitsu)ではもともと音楽をかけてなかったんですよ」
「え! でも今日は二階でも音楽が流れてますよね」
「あの記事をきっかけに来られるお客様が多いので、今月いっぱいは二階でもBGMをかけることにしたんです」
「じゃあ来月から二階はまた無音に……?」
「ええ、無音に戻ります」
 へえー。すごく良いタイミングで訪問できたわけだ。というか、半月でもタイミングがずれていたら「あれ、どうして音楽が流れてないんだろう?」と困惑しているところでした。あぶねえ。それに、この音楽はKajitsuの雰囲気や料理にも合っていると思うので、個人的にはちょっともったいない気もします。
 
 なお、このBGMは教授の作ったSpotifyのプレイリスト(おそらくNew York Timesの記事で公開されているものとは別)をお店で流している仕組みらしく、季節に合わせて随時アップデートしていく予定だそうです。すげー! 近所に住んでいる人たちがうらやましくてたまらない。
 というか、日本でもそういう方式が流行ってほしいですね。いろんなミュージシャン・DJ等の選曲したプレイリスト(随時更新)がBGMになっているお店。僕は行ってみたいです。
 
 こうした経緯を知ると、(教授が元々のBGMに不満を覚えていたという)一階・Kokageのことも気になってきます。
 今回はKajitsuのことしか頭になかった(まさか件の記事で取り上げていたお店がKajitsuではなくKokageのことだなんて思ってもみなかった)ので、Kokageについては全然下調べをしていませんでした。帰国後に公式サイトで確認してみたところ、Kokageのほうはコースではなくアラカルトのメニューで、ノンベジ(つまり肉食)の料理もある様子。価格帯も、NYCの物価を考えれば特別高いというほどではありません。一方、今回聞いた話によればKajitsuとKokageで厨房は共通らしいので、お味のほうは絶対に間違いないでしょう。
 そんなわけで、次にNYCへ行く機会があったら、Kokageでも食べてみたいです。

 ただ、Kajitsuでもまた食べたいんだよなー……両方行くしかないなー……というか日本にもお店を出してほしいなー……。
 そんな悩みを抱えつつ、抹茶を飲み干しました。
 
 21時に入店してから全10品&日本酒ペアリングをゆっくり戴いたので、食べ終わった時刻はもう23時半ごろ。
 気づけば僕の他には客が残っておらず、最初に担当してくれた白人の店員さんも途中で上がってしまいました。遅くまで滞在してしまい申し訳ない気持ちになりつつも、「本当に美味しかったです。また伺いたいです」と心からの感想を伝えて退店。
 外はミッドタウンの住宅地。それまでいた日本料理店の空間と地続きとは思えず、酒を何杯も飲んだせいもあって不思議な錯覚に陥ります。歩き出してみると、やはり酔いのせいで自分の足どりが心許ない。
 深夜の異国の街をこんなに酔ったまま歩くのもどうなんだと思いつつも、徒歩10分程度の距離でタクシーやUberに乗る気にもならず、美味い料理と美味い酒の余韻に浸りながらミッドタウンの夜道を歩いたのでした。