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世界一ていねいかもしれない「今夜はブギー・バック」の解説【前編】(nice original)

はじめに

 BEAMSの創業40周年記念のプロジェクト「TOKYO CULTURE STORY」の第一弾で公開された『TOKYO CULTURE STORY 今夜はブギー・バック(smooth rap)』。すでに多くの人たちが話題にしているように、素人目にもわかるほど大変な手間をかけて撮られたであろう、素晴らしい作品だ。
www.beams.co.jp
www.youtube.com
 
 1976年から2016年までのファッションとカルチャーをなぞった衣装や小道具・セットももちろん凄いが、何より印象的なのが、豪華なミュージシャンたちによって代わる代わる演奏・歌唱される「今夜はブギー・バック」(以下「ブギーバック」)の圧巻ぶり。
 参加ミュージシャンは総勢17組で15ジャンル。それぞれの時代とジャンルを象徴するアレンジでブギーバックを披露している。
 以下、BEAMSのプレスリリースより引用。

1970年代: 南佳孝 [シティ・ポップ] / 戸川純 [ニューウェーヴ]
1980年代: SEIJI(GUITAR WOLF) [ロックンロール] / こだま和文(ex.MUTE BEAT) [ダブ] / 森高千里 [ダンス・ポップ]
1990年代: EYE(BOREDOMS) [オルタナティブ・ロック] / 野宮真貴 [渋谷系] / サイプレス上野・高木完 [ヒップホップ]
2000年代: HUSKING BEE [メロコア] / ナカコー&フルカワミキ (LAMA/ex.SUPERCAR) [テクノ/エレクトロニカ] / クラムボン [ポストロック] / sasakure.UK feat. 初音ミク [ボーカロイド]
2010年代: チームしゃちほこ [アイドル] / tofubeats・仮谷せいら [クラウド・ラップ] / YONCE (Suchmos) [アシッド・ジャズ/ロック]

 
 1994年3月9日のリリースから、12年余り。今回の例に限らず、ブギーバックは無数のミュージシャンたちにカバーされてきた。原曲ではなくカバーから先に触れた人も多いだろう。
 日本のポップ・ミュージック全体でみれば、もっと数多くのミュージシャンにカバーされた楽曲はいくらでもあるだろうが、少なくとも日本語ラップのなかではダントツのカバー数のはずだ。
 ただし、(本人たちの最大級のヒット曲であるとはいえ)当時のCD市場の規模を考えれば、日本中の人が耳にしたほどの「大ヒット」ではない。その証拠に、1994年の年間チャートを見てみると、
トップ10はおろか、50位以内にもランクインしていない(2種類のバージョンで別々に順位付けされていることもあるだろうが)。BEAMSのプレスリリースによれば「五十万枚を超えるヒット」だったそうだが、それでもやはり当時においては、けっして「大ヒット」ではなかったのだ。
 ――にもかかわらず、どうしてブギーバックは、これほど多くのミュージシャンを惹きつけ、そして今もなお歌い継がれているのだろう?
 
 この疑問に対する明確な回答はできない。強いて言うなら、「才能あふれるミュージシャンが、もっとも勢いのある時期に、最高のタイミングで世に出した曲だから」といった凡庸な言葉でしか表しようがないと思う。
 ただ、さまざまな周辺の状況を整理して、世界一ていねいかもしれない(「詳しい」と自称するのは憚られるため、あくまで「ていねい」)レベルで、この曲について可能な限り事細かに解説していきたいと思う。
 なお、ひと通り書いてみたらとんでもない分量になってしまったので、前半は「nice original」と題して、原曲に話題を絞って書いてゆきたい。

1.「nice vocal」と「smooth rap」、2種類のオリジナル版

1-1.2つのバージョンの同時リリース

 何よりもまずは原曲の話から。
 小沢健二とスチャダラパー(以下、「SDP」)による原曲のシングルは、小沢健二が所属する東芝EMI(当時)とSDPが所属していたキューン・ソニーの両方のレコード会社から、1994年3月9日に2枚同時リリース。前者は小沢健二 featuring スチャダラパー名義の「今夜はブギー・バック (nice vocal)」、後者はスチャダラパー featuring 小沢健二名義の「今夜はブギー・バック (smooth rap)」。さらにカップリングには、各バージョンのカラオケ版とともに、リミックス的な「今夜はブギー・バック (meanwhile back at the party)」「今夜はブギー・バック (Live at BIG EGG?)」がそれぞれ収録されている(詳しくは後述)。
今夜はブギー・バック
今夜はブギー・バック

今夜はブギー・バック smooth rap
スチャダラパー featuring 小沢健二
¥ 250
 また、メンバー4人の顔写真が並んだジャケットを目にしたことのある人も多いだろうが、こちらはファイルレコード*1から限定リリースされたアナログ盤のジャケットである。
f:id:kagariharuki:20161209233258j:plain
 聴いたことのある人にはわざわざ説明するまでもないだろうし、曲名からも想像がつくだろうが、「nice vocal」は小沢パート(ボーカル)が多めで、「smooth rap」はSDPパート(ラップ)が多め。それに合わせて曲の構成自体も異なっているし、アレンジも異なるアプローチで仕上げられている(詳しくは後述)。
 それにしても、最初から複数のバージョンが存在する――このこと自体が、ブギーバックの「懐の広さ」を象徴してはいないだろうか? ボーカルが多くてもいい。ラップが多くてもいい。トラックが乗っているだけでもいい。どんな人がどんなアレンジでどんな唄い方をしても通用するのだ。
 
 曲名についても触れておこう。「nice vocal」と「smooth rap」の由来は、NICE & SMOOTHから。その影響は、「remix #36 1994年6月号」の掲載の座談会*2でも明確に述べられている。
Cake & Eat It Too [Analog]

――2枚のCDバージョン名を合わせるとNICE&SMOOTHになるんだけど、勿論リスペクトの気持ちを込めてのネーミングでしょ?
O(引用注:小沢) ああいうのが好きなんだよ。
――NICE&SMOOTHとの出会いはいつ頃?
O 何年か前にアニの家に遊びに行った時だよね。
A(引用注:ANI) まだ、お互いに良く知らない時にさぁ、珍ジャケットを紹介するような感じで、「こういうの好きだと思うんですけど。」とか言って1stアルバム薦めたの。'91年頃じゃない?
O で、レコード見て「この服凄くねーか?」なんて具合いな出会いだったと思うんだけど。音的には凄く反映されてるよね。
(出典:remix #36 1994年6月号)

 また、刊行が「スチャダラ外伝」リリース時期ということもあって、同号にはスチャダラパーへの単独インタビュー*3も載っているのだが、こちらにもNICE & SMOOTHの話題がでている。

――小沢(健二)さんとは、以前から交流はあったわけですか?
B(引用注:Bose) うん。遊び友だちとか。
――お互いジャンル的に異なるような気がして…
S(引用注:SHINCO) 聴いてる音楽が結構ダブってる。
B うん、ほぼ。こう影響し合って、教えて貰って、教えてあげて感じで*4。小沢君変なの好きだもんね。NICE&SMOOTHとか。
(出典:remix #36 1994年6月号)

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1-2.楽曲の製作

 では、このオリジナル版はどのように生まれたのか。
 そもそもの根底にあるのは、小沢健二とSDPの関係の深さだ。ファンにはよく知られたことであるが、単にプライベートで交流がある、なんて度合いではなく、この当時は同じ中目黒のマンション(通称「ブギーバックマンション」)に暮らし、毎日のように遊んでいた仲。互いの生活の拠点が遠く遠く離れた現在でも、互いのライブにゲスト出演したり(逆にSDPのライブのMCでBoseが「今日のゲストに小沢健二は出ません!」と言うのも半ばお約束と化していたりする)、お祝いのメッセージを送ったり、仲の良さはいまも変わらず。
 具体的な誕生の経緯は、SDPの自主制作本「余談25 平成」(2015年4月14日、スチャダラパーのワンマンライブ「華麗なるワンツー」会場にて販売)における、SDP25年史を振り返ったメンバーの大ボリュームな鼎談(ブギーバック関連以外でも貴重なエピソードが多数)が詳しいので、とくに重要な部分を引用したい……のだが、筆者の手元にあるはずの「余談25 平成」がどこを探しても見つからなかった……。すみません。なので、記憶を頼りに、大まかなポイントだけ書いておく。
・最初にトラックを作り始めたのは小沢
・「犬」の直後のため、バンドサウンドになるだろう……と思ったら意外にも打ち込みだったので、SDP側も驚いた
 これで、トラックの骨子を先に作ったのは、意外にも小沢側だったことがわかる。
 これがどれだけ意外なことかというと、この時点での小沢健二のソロ作は、デビューアルバム「犬は吠えるがキャラバンは進む」(1993年9月29日発売)(以下「犬」と表記。後に「dogs」と改題)と関連のシングルのみ。つまり、ギターとベースとドラム、それにキーボードが中心のシンプルなバンド編成が中心の作品を出した直後の時期だからだ。
犬は吠えるがキャラバンは進む

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1-3.小沢健二のブギーバック以前・ブギーバック以後

 ただし、小沢のソロ作品の流れだけを見ると意外であるものの、小沢健二と打ち込みの組み合わせ自体はあり得なかったものではない。
 フリッパーズ・ギターの最後のアルバム「ヘッド博士の世界塔」(1991年7月10日発売)は、打ち込みとサンプリングのオンパレードだった(奇しくも、このアルバムでサンプリングを多用するきっかけとなったのは、小沢がSDPと遊んでいるとき初めてサンプラーに触れて衝撃を受けたため、という話)。
 また、ソロデビュー前にプロデュースした渡辺満里奈の「HAPPY BIRTHDAY ep」(1992年5月21日発売)のタイトル曲「バースデイ ボーイ」は打ち込み主体の楽曲だったりする。同EPに収録の「夜と日時計」は、小沢のセカンドシングル「暗闇から手をのばせ」(1993年12月1日発売)のカップリングでセルフカバーがなされており、「犬」自体の作風も「夜と日時計」の流れを汲んだものといえよう(このあたり、ばるぼら氏がnoteで販売している「1992年の小沢健二(草稿)」の指摘が大変鋭いのでぜひ)。
 が、ここで小沢から提示されたのは「バースデイ ボーイ」寄りの、打ち込みのトラックだった。
 
 考えてみれば、ブギーバックが収録された小沢健二のアルバム「LIFE」(1994年8月31日発売)においても、ブギーバックは異彩を放っている。
LIFE
 「LIFE」は、内省的な要素の多かった「犬」とは打って変わってとことん明るい(ように聞こえる)歌詞と曲調と歌唱法で、きらめくようなポップソングが揃った文句なしの名盤だ。しかし、そのなかでブギーバックは、よく言えばアクセントに、悪く言えば浮いている存在だ。
 
 さらに、両者のキャリアを俯瞰してみると、ブギーバック、そして94年という年は大きな転機になっていることがわかる。
 
 小沢は、同年8月31日に代表作「LIFE」を発売。翌95年は元日リリースの「カローラIIにのって」をはじめ年間5枚のシングルを出すほどの多作ぶり*5で、年末には「ラブリー」でNHK紅白歌合戦に初出場。と、世間一般に浸透している小沢の活動の皮切りとなったのがブギーバックなのだ。

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1-4.スチャダラパーのブギーバック以前・ブギーバック以後

 一方SDPも、同時期にBoseがフジテレビ系「ポンキッキーズ」のレギュラーに就任するとともに、オープニング曲にSDPの(「GET UP AND DANCE」のバージョン違いである)「Welcome to Ponkickies」が起用されるなど、お茶の間での知名度が急速に増してゆく時期だった。
ポンキッキーズ30周年記念アルバム ガチャピン&ムックが選ぶポンキッキーズ・ベスト30
 また、当時もいまも小学生(とくに男子)に絶大な影響力をほこる「コロコロコミック」(小学館)でも、SDPは読者投稿コーナー「スチャダラ通信」*6を連載していた。この関連で「コロコロなるまま」という曲もあるが、これはブギーバックのひとつ前のシングルだ。
 ポンキッキーズとコロコロコミックの両方で毎日・毎号登場していたのだから、当時の小学生にとってSDP(とくにBose)は、もっとも身近なミュージシャンだったといえるのではないか?
 そのためか、94年当時まさに小学生だった筆者は、未だにライブやトークショーなどでBoseの姿を目にすると(もう何度も目にしているのに)「ほ、本物だ」と他のミュージシャンやタレントを目にしたときとは違う種類の身構え方をしてしまう。
 このように露出を大幅に拡大しつつも、Ki/oonから(小沢も所属している)東芝EMIへの移籍後初のアルバム「5th WHEEL 2 the COACH」は、従来からのSDPのファンはもちろんのこと、硬派なヒップホップリスナーも含め、幅広い層から評価を得た名盤であった。「余談25」によれば、この時期は多忙を極めており本人たちにとっては負担も大きかったようだが、活動自体はまさに絶好調。
 その着火点になったのはやはり、ブギーバックに違いないだろう。ブギーバック以前にも2nd「タワーリングナンセンス」や3rd「WILD FANCY ALLIANCE」で着々と評価を得ていたし、メディア露出もどんどん拡大していたため、もしブギーバックのヒットがなかったとしても間違いなく活躍していたはずだ。
 ただ、後にBoseが「大して売れてないですから」(出典:ほぼ日刊イトイ新聞「彼方からの手紙 第8回『Trio The Caps』」)と語るように直前のアルバム「WILD FANCY ALLIANCE」はセールス面では良い結果をだしていなかったようだし、SDPと同世代で日本語ラップを開拓してきたRHYMESTERの宇多丸も2015年の鼎談(Bose、宇多丸、サイプレス上野)で「やっぱヒットは大事だよ。「ブギー・バック」がなければ、日本のヒップホップはもっと悲惨なことになってたと思うし」(出典:扶桑社「週刊SPA!」2015年 04/28号「エッジな人々」)と述べている。SDPの活動も、ひいては日本のヒップホップのジャンル自体も、ブギーバックの影響が大きいことは間違いない。
 ちなみにこの鼎談では、当事者であるBoseの口からブギーバックのヒットについて興味深い発言もみられる。

Bose 「ブギー・バック」が売れたのも結果論だよね。マッチョなラップのパロディみたいな曲だから。ラップとしてわかりやすい正統派が先に売れて、そこにあれなら本来もっと面白いんだけど。
宇多丸 でも、それは日本では考えづらいよ。マッチョなものが本当に苦手だから。
Bose 当時は日本語のラップが根づいてないから、地方の不良みたいなコたちにはまだ届いてなくて、面白さや魅力がきちんと伝わっていなかっただけでしょ。
(出典:扶桑社「週刊SPA!」2015年 04/28号「エッジな人々」取材・文/高岡洋詩)

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1-5.プロモーション・タイアップ

 話は前後するが、シングル発売当時に時間を戻そう。
 先に述べたように、シングルは東芝EMIとキューン・ソニーの2社から同時リリース。もちろん異例のことで、それを逆手にとって、互いのレコード会社の担当者が一堂に会した集合写真の広告、なんてものもあった。
 
 タイアップは、池袋のファッションビル「P'PARCO」のCMと、フジテレビ系「タモリのスーパーボキャブラ天国」のエンディングテーマに起用されている。
 前者に関連して、P'PARCOの開店記念のフリーライブでブギーバックが披露されている。ここから18年の時を経て、2012年に小沢が作品集「我ら、時」の発売や展覧会「『我ら、時』展覧会とポップアップ・ショップ」をおこなった際、販売と会場提供をパルコが担当したのはただの偶然だろうか*7
小沢健二作品集 「我ら、時」 (<CD>)
 後者についても、のちに小沢が「笑っていいとも!」に出演したときにタモリがブギーバックを絶賛していたことから、このタイアップを機にタモリの目に留まった可能性も高いと考えられる。

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1-6.プロモーションビデオ

 プロモーションビデオは、川勝正幸とタケイグッドマンの共同監督*8
 川勝正幸は両者のデビュー当時から交流があり、とくに初期のSDPに対してはプロデューサー的な関わり方をしている*9
 タケイグッドマンはSDPも属するLITTLE BIRD NATION(以下、「LB」)の創設者の1人(もう1人はSHINCO)であり、SDPのPVも数多く製作。そしてブギーバックのPVを皮切りに、小沢健二のPVも1996年の「夢が夢なら」まで一貫して監督している。最近も「LIFE」20周年記念にスペースシャワーTVで放送(のちに劇場公開・DVD化)された「超LIFE」の監督や、「ひふみよ」以降の小沢健二のライブに同行・撮影*10していたりと、今もなお、両者を語る上では超重要人物である。
www.youtube.com
超LIFE(完全限定生産盤) [DVD]

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2.原曲の分析

 では、曲の中身、とくに歌詞についても触れてゆきたい。

2-1.「旅」がテーマだったラップ

 まず、BoseとANIによるラップのパートからみてゆきたいが、その前に、SDPの作詞方法に触れておきたい。
 SDPの作詞・作曲は基本的にメンバー3人全員の連名となっている。一般的に、ラッパーはリリック(歌詞)をラップする本人が書くことが多い。しかし、SDPの場合はここを合議制にしているのだ。「ラップのことば」(スペースシャワーネットワーク・2010年刊)におけるBoseのインタビューから引用しよう。

ラップのことば (P‐Vine BOOKs)

ラップのことば (P‐Vine BOOKs)

どんな内容にして、どういうストーリーで、どういう曲調でっていう根本的なアイディア出しを、まず3人でやるんだけど、加えてリリックも3人で書くんだよね。だから、リリックを書いてても、「この部分に当てはまる言葉を誰か探して」って最初から他のメンバーに振ったりする。シンコも歌詞書くの好きだし、シンコの出してきたフレーズを僕がラップしやすいように推敲したりするのは(1stの)『スチャダラ大作戦』(90年)の頃からやってた。だから、ボーズの歌詞、アニの歌詞っていうより“スチャダラパーの歌詞”って意識かな。もっと言えば、例えば僕のパートは“スチャダラパーの中のボーズというキャラクターが出すリリック”を“3人で考えてる”って感じなんだよね。
(出典:「ラップのことば」インタヴュー・文/高木晋一郎)※強調は引用者による

 小沢や他のミュージシャンとコラボレーションする以前に、そもそもSDPの楽曲はすべて「合作」なのだ。
 では、ブギーバックの歌詞はどのように生まれたのか? 同書から、少々長いが該当箇所を引用する。

――話は前後しますが、4枚目『スチャダラ外伝』(94年)に収録された「今夜はブギー・バック(smooth rap)」って≪俺って何にも言ってねー≫を地でいくような、ホントにリリックに内容がないですよね。それより発声すると面白いとか、言葉を音で捉えた非常にフロウ性の強い曲で。で、それが、『偶然のアルバム』移行の抽象性に繋がるんじゃないかって感じたんです。
 なるほどね。「ブギー・バック」はコラボ曲だし≪よくなくなくなくなくなくない?≫みたいな、みんんなで言ったら楽しくなるような言葉は意識したかな。ラップってそういう言ってみたくなるようなフレーズが実は大事だったりするからね。英語のラップでも意味はないけど音として言っちゃいたいみたいなフレーズが頭に残ったりするでしょ。かつ意味のあることは小沢くんに丸投げ!みたいな(笑)。でも、「ブギー・バック」はまったく違う歌詞だったんだよね。最初は温泉に行く話だったんだ。
――えー!
 『~外伝』自体が“旅”っていうテーマだったんだよね、当初。(持参したリリック帳を開く)それで、≪阿武隈山脈を横目に……≫って歌詞を書いて、それに小沢くんが完全にギョッとするっていう(笑)。そういう歌詞ばっかり爆笑しながら作ってたんだけど、流石にそれはストップがかかって、それで旅の部分を抜いたら、まったく意味のない歌詞になったんだよね。
――へー! 意外な真相ですね。
 いろんなアイディアをノートに書きつけてあるんだけど……例えば、三角関係でリリックを書こうと思って相関図を書いてるんだけど、難解すぎて結局止めてたり。そういう(曲の)構造や物語をこの時期は異常に考えてた。
(出典:「ラップのことば」インタヴュー・文/高木晋一郎)※強調は引用者による

スチャダラ外伝
 「スチャダラ外伝」の当初のテーマが「旅」だった、というのは他のインタビューでもしきりに語られていることだ。同作に収録の「GET UP AND DANCE」の冒頭で「テーマが旅に決まりましツアー」とあるし、なにより、ブギーバックの「24(16)小節の旅の始まり」にも「旅」の名残がみられる。
 ここで、「意味のない歌詞」と明言している点に注目だ。
 TBSラジオ「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」の2008年2月23日放送回「スチャダラパーと振り返る!ポスト・バブルと日本語ラップの20年」にSDPがゲスト出演したときにも、ブギーバックの歌詞についてこう述べている。

Bose:作ったときは「変なものを作ろう」って気はすごくあったんだけど。小沢君とも言ってたのは、僕らは日本の昔の曲とかで好きなのも「珍盤」と呼ばれるような、変なコラボしたやつ。たとえば「ふたりの愛ランド」とかさ。
ANI:「林檎殺人事件」とか。
Bose:コラボした変な曲ってあるじゃん。ああいうものを作ろうっていう思いはすごくあった。
(中略)
Bose:面白い感じで「ああ、あったねえ(笑)」みたいなのを作りたかった。
宇多丸:そんなとこを狙う人もいないけど(笑)。
Bose:(笑)。でも、ほんとにそうだったの。
宇多丸:たしかに、ラップしてる中身は、ひどいもんだもんね?
Bose:ひどいもんでしょ?(笑)
宇多丸:たぶん、スチャ史上の中でも一番ひどいよね、これ?
SHINCO:まあ、ねえ。
Bose:「何も言ってねー」、みたいな。
(出典:TBSラジオ「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」2008年2月23日放送回※書き起こし・強調は筆者による)

 そう。ANIのパートに「俺って何にも言ってねー」のフレーズがあるが、まさに「「何も言ってねー」のだ。
 先に述べたように、ラップの歌詞は基本的に個人プレーで書かれるものだ。ラッパーの個性や好み、さらには己の出自*11や内輪ネタまで含まれてくる。これがラップの面白さではあるが、逆に、他人がカバーをする際には障害となってくる。
 しかし、ブギーバックの歌詞、ことラップに関してはきわめて抽象的で、メッセージ性をまったく含んでいない。それでいて、ラップならではのかけ合いの面白さや、言葉としての口触りの良さは存分に含まれている。だからこそ、カラオケでも唄いやすいし、カバーされやすい一因になっているのだろう。「口触りの良さ」は、重要なキーワードだ。

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2-2.小沢健二は韻を踏む

 小沢パートも、ラップに負けず劣らずの韻の踏みっぷりである。つまり、こちらも非常に口触りが良いのだ。
 
 たとえば歌い出しの「ダンスフロアーに華やかな光 僕をそっと包むようなハーモニー」をローマ字で(発音に沿って)書き起こしてみるとこうなる。

DANSU FUROA-NI HANAYAKA NA HI-KARI
BOKUWO SOTTO TUTUMUYO NA HA-MONI

 まず、わかりやすいところで「ひーかりー」と「ハーモニー」の脚韻。その直前の「(華やか)なひ(ーかりー)」と「(よう)なハ(ーモニー)」も対応しているし、「(ダンスフ)ロ(ア)」「(僕を)そ(っと)」も、字面ではわかりづらいが音で聴くとつながっている。もっと細かく見ていくと、前半では「AN」が、「ダンス」「フロアに」「華やかな」の各所に仕込まれていたり。
 とまあ、挙げていったらきりがないくらいに韻を踏んでいるのだ。
 後に小沢本人によってセルフカバーされた「今夜はブギー・バック/あの大きな心」(詳細は後述)で追加・変更された歌詞でも、やはり同様に韻を踏んでいる。
 
 そもそもブギーバックに限らず、小沢健二はとにかく韻を踏んでいる。聴いているだけではなかなか気づかないが、口ずさんでみると、歌詞の音の流れ、ヒップホップ風に言うなら「フロー」が、妙に気持ちいいのだ。国内外問わず、歌モノの歌詞では多かれ少なかれ韻を踏んでいることはあるが、小沢の場合は特にそれを意識的におこなっているように感じる。小沢健二の楽曲が何度となくカバーされてきているのには、この「口触りの良さ」も大きく影響しているだろう。
 ここでは深掘りしないが、「小沢健二と韻」は、いくらでも分析できるし、いくらでも語りようのある大ネタだと思う。

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前半のおわりに

 ……さて。原曲についていろいろ書いているだけで、そこそこの分量になってしまった。
 ただ、ブギーバックは無数のバリエーションが存在する。今回、本稿を書くきっかけになったBEAMSのバージョンに触れる前に、多数のミュージシャンたちによるカバーもあるし、そもそも本人たちのセルフカバーやライブバージョンだけでもけっこうな数があるのだ。
 というわけで、前半はここまでにして、後半は、無限に広がってゆくバリエーションの数々について書いてゆきたい。
kagariharuki.hatenablog.com

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*1:ラッツ&スターの佐藤善雄が代表を務めるインディーズのレコード会社。錚々たるミュージシャンの面々がメジャーデビュー前に作品をリリースしており、SDP、RHYMESTER、RIP SLYME、EAST END、MELLOW YELLOW、ECD、MICROPHONE PAGER、キミドリなど、こと日本語ラップにおいては黎明期から現在に至るまで超重要な存在。ちなみにANIはSDPの初期にファイルレコードの事務所でアルバイトをしており、SDPの1stアルバム「スチャダラ大作戦」の宣材の梱包などをしていた……という話を、筆者は2015年の「大LB博覧会」でのトークショー「LBと川勝正幸」で聞いた

*2:インタビュアー(誌面でのクレジットは「テキスト」)は、Boseの実弟の光嶋崇

*3:インタビュアーの個人名クレジットはなく、構成担当は編集部名義

*4:原文ママ

*5:オリンピック並みの活動ペースに慣れてしまった今となっては特にそう感じる

*6:まったくの余談だが、「ミサイルをもじってミサイヌ」というネタが、「Vジャンプ」の類似コーナーからの盗作と判明した事件が当時とても印象的だった

*7:たぶんただの偶然

*8:※当初、川勝正幸さんに関する記載が抜けておりました。コメント欄でご指摘いただき訂正

*9:これまた余談ですが……。川勝正幸さんが亡くなった当時、川勝さんの自宅マンションのすぐ近くに僕の職場があり、毎日そのマンションの前を通って通勤していました。もちろん僕は川勝さんと面識はなかったけれど、知らぬ間にニアミスしていた可能性はすごく高いと思う。ただ、そのマンションに川勝さんが住んでいたことを知ったのは川勝さんの訃報があったからで、もしあの火災がなければ、このニアミスに気づくこともなかったはず……なんとも複雑な想いを抱きながら、マンションの前で静かに手を合わせたのでした

*10:ただしその映像のリリース予定はなさそう……

*11:この極端かつ超有名な例が「東京生まれHIP HOP育ち 悪そうな奴は大体友達」だろう