『 #渋谷音楽図鑑 』紹介&感想。渋谷の坂の物語と、フリッパーズ・ギターという太陽と、楽曲の解析と。

 「良い本」の定義はいろいろあるだろうが、個人的には、(フィクションにしろノンフィクションにしろ)読む前と読んだ後とで世界の見え方が変わる本は良書だと思っている。
 その意味でいえば、2017年7月4日に発売された『渋谷音楽図鑑』(太田出版)は超良書だ。
 渋谷の街そのものの見え方が変わるし、「渋谷系」もこれまで以上に的確に理解できるし、それまで聴いてきた曲も新しい楽しみかたができるし……こんなに「視点の変化」を楽しませてくれる本もそうそうないと思う。

渋谷音楽図鑑

渋谷音楽図鑑

『渋谷音楽図鑑』とはどういう本なのか

 まずは以下のキーワードをご覧いただきたい。

  • 渋谷という街の歴史
  • 公園通り
  • 道玄坂
  • 宮益坂
  • 渋谷系と、渋谷系へつながっていった人々のつながり
  • はっぴいえんど
  • シュガー・ベイブ
  • 山下達郎
  • フリッパーズ・ギター
  • 小沢健二
  • コーネリアス

 もしあなたが、以下のキーワードのいずれかに惹かれる人なら。きっと読んだほうがいい。
 もしあなたが、以下のキーワードのいくつかに惹かれる人なら。間違いなく読んだほうがいい。
 もしあなたが、以下キーワードの大半に惹かれる人なら。それならもう、こんなブログを読んでる場合じゃないので今すぐ買いに行ったほうがいい。
 
 詳しくは後述するが、本書は、以上に挙げたキーワードのすべてを攫いきった大著だ。
 回し者のような言い方になってしまうが、これで定価2,400円+税は安い。安すぎる。情報量も密度も、そんじょそこらの書籍3~4冊分以上のボリュームだと思う。
 「読むのに骨が折れるんじゃないか」と思われるかもしれないが、そんな心配はない。基本的に喋り言葉で書かれているし、出てくるキーワードも身近なものばかりだ。
 
 3人の著者のプロフィールを簡単に紹介しておこう(敬称略)。
 牧村憲一。音楽プロデューサー。渋谷生まれの渋谷育ちの渋谷住まいで、3人の著者の最年長であり、氏が「当事者」として関わってきたエピソードの数々が本書の軸となっている。著書に『ニッポン・ポップス・クロニクル 1969-1989』『「ヒットソング」の作りかた 大滝詠一と日本ポップスの開拓者たち』など。

 藤井丈司。音楽プロデューサー/プログラマー/アレンジャー。元々、牧村氏の主催する私塾「音学校」に藤井氏が講師として登壇した講座が、本書の原型となっている。本書が初めての著書とのこと。
 柴那典。音楽ジャーナリスト。元「ROCKIN'ON JAPAN」編集者で、著書に『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』『ヒットの崩壊』など。藤井氏が『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』の感想を柴氏宛にメールしたことが、本書の企画のそもそものきっかけである。
初音ミクはなぜ世界を変えたのか?

初音ミクはなぜ世界を変えたのか?

 
 なお、本書の一部がcakesにて公開されているので、まずはこちらから気になる標題の箇所をつまみ読みしてみても良いだろう(cakesでは、公開から1週間以内の記事は無料で読める。逆に、1週間を過ぎた記事は有料会員しか読めないので注意)。
cakes.mu

2回のトークイベント

 僕はこの本の刊行前(6月25日)に渋谷・東京カルチャーカルチャーにて行われたトークイベントへ友人のお誘いでたまたま行ったところ、このお三方のトークの面白さにすっかり魅了されて、その場でTwitterでめちゃくちゃに実況をしてしまった*1
togetter.com
 元々、牧村氏や柴氏の著書はいくつも読んでいたし、この本も買うつもりではあったのだけど、このお三方の組合せと、その取り上げている話題が非常にツボだったのだ。
 
 で、その1週間後(7月2日)にHMV&BOOKS TOKYOで行われた発売記念トークショー&サイン会へも吸い込まれるように向かっていった。トーク自体も楽しみだったし、本来の発売日(7月4日)より先行して『渋谷音楽図鑑』を購入できる! と聞いて矢も盾もたまらず馳せ参じた次第だ。
 イベント開始の3時間前に本を購入し、さっそく貪り読んでからトークショーを拝聴。先週同様、面白い話題の連続でまたも実況しまくってしまった。
 このトークショーの模様は以下にまとめている。
kagariharuki.hatenablog.com
 
 なお、トークイベント後のサイン会にて、おそるおそる「先週も今日も、馬鹿みたいに実況しちゃいまして…」とおそるおそる申し出たところ「君か!!」のお言葉を頂戴した。さすがにあれだけの勢いで実況していれば認識されちゃいますよね。「牧村さんがトークの壇上でiPadを手繰っておられるなー」と思ったら、僕の実況もリアルタイムでご覧になっていたそうで……おそれおおい。
f:id:kagariharuki:20170709105927j:plain
 
 なので、本稿ではこの2回のトークで訊いた話も踏まえつつ、『渋谷音楽図鑑』の内容について書いていきたいと思う。

第一章~第四章:公園通り、道玄坂、宮益坂、原宿

 第一~三章の標題は『公園通り』、『道玄坂』、『宮益坂』。
 渋谷へ遊びに行ったことのある人なら耳馴染みのある地名だが、この3つの「坂」にフォーカスを合わせているところが本書のキモだ。
 
 巻末の藤井氏のあとがきによれば、本書の企画開始時、牧村氏はこう述べたという。

(略)開口一番牧村さんは「ねえ、僕たちが渋谷から生まれた音楽についての本を書くことになると思うんだけど……渋谷のどこでもいいから高いところ、例えば道玄坂の上の歩道橋あたりから、渋谷って街を見てみたことがあるかい?」と聞いた。
 何を言い出したんだろうと黙っていると、牧村さんはこう切り出した。
渋谷は坂と川と谷でできてる街なんだよ。道玄坂だろ、公園通り、それに宮益坂。三つの坂から下ったところに渋谷という谷がある。それぞれの坂で生まれた音楽があるんだよ。僕はずっと渋谷で生まれて育ってきたんだ。これから長い時間この四人で話すことになると思うけど、僕が語る話は君たちが思ってるような渋谷系に関する音楽の話だけじゃない。渋谷という街が持っている歴史、時間、その下に流れる暗渠、上を流れる川、それぞれのことを一つ一つ話していくけど、それでいいかな?」
(出典:『渋谷音楽図鑑』P.268(太字強調は引用者による))

 
 最初の三章のテーマは、それぞれの「坂」の物語だ。いずれの章も、前半と後半で視点が大きく異なっている。
 前半ではその「坂」から音楽が生まれるきっかけとなった場所や、ひいては東急グループ・西武グループによる都市開発の歴史に至るまで、俯瞰的かつ客観的に語られる。
 前半が客観的なのに対し、後半は主観的だ。都市型ポップスの立役者として60年代から活躍してきた牧村氏が「当事者」として、その「坂」から音楽が生まれていった様子を述べてゆく。たとえば公園通りなら大滝詠一『サイダー'74』、道玄坂ならシュガー・ベイブ『SONGS』、宮益坂なら大貫妙子『ロマンティーク』などなど。
 
 中でも、章の前半部分、街の成立の過程がとりわけ面白い。
 僕は1986年生まれなので、物心ついたときには「渋谷は若者の街」というイメージがすっかり定着していた。だが、街は絶えず変化し続けているし、そこを行き交う人たちも入れ替わってゆく。
 本書によれば、「六〇年代半ばの渋谷は、文化の匂いがなにも無いところ」*2だったという。文化の中心は新宿で、渋谷はむしろサラリーマンの街だった。そんな渋谷が、どうして日本の若者文化や都市型ポップスの拠点となったのか。そこには、東急グループと西武グループの大きな野望と競争があったのだ――と本書で知ると、何度となく歩いてきた渋谷の街並みもまるで変わって見えてくる。
 そして、各章の前半で街の歴史が語られるからこそ、後半の「当事者」のエピソードに立体感がでてくるのだ。牧村氏のこれまでの著書*3で既に語られているエピソードも多いが、「場所」という軸が加わったことで、その印象が大きく変わってみえる。
 場所があって、人が集まって、文化が生まれる。我々の目や耳に触れるのは「結果」としての作品だけだが、そこに至る「過程」が見えると、どれもこれも、ちょっとした偶然の巡り合わせで生まれていることに驚かされる。
 
 続く第四章の標題は『原宿』。「坂」ではないが、渋谷から原宿は徒歩圏内だし、渋谷をあちこち歩き回っているうちに気がついたら原宿側にいた……なんて経験をした人も多いだろう。
 原宿からは忌野清志郎+坂本龍一『い・け・な・いルージュマジック』などが生まれる。
 
 そして、いよいよ時代は80年代末、渋谷系前夜へ近づいてゆく。

第五章:渋谷系へ

 個人的にもっとも楽しみにしていたパート。
 なにしろ、牧村氏のこれまでの著書『ニッポン・ポップス・クロニクル 1969-1989』や『「ヒットソング」の作りかた 大滝詠一と日本ポップスの開拓者たち』では(おそらくあえて)ほとんど触れられてこなかった、フリッパーズ・ギターに関するエピソードがたっぷりと書かれている。
 
 なお、牧村氏は「渋谷系」という言葉に対して、慎重な姿勢をとっている。
 本書の第五章の標題「渋谷系へ」は、もともと「渋谷系」だったらしい。だが、「渋谷系」という呼称は1993年からのもので、1991年に解散したフリッパーズ・ギターには当てはまらないし、さらにフリッパーズへ至る約10年間の日本のネオアコ史までも無視してしまうことになる。だから、牧村氏がこの「渋谷系」という標題に異を唱えた。そこで柴氏や藤井氏が代案を考えた結果、「へ」の一文字を足すことで落着した――とのことだ*4
 
 だから本書でも、フリッパーズ・ギター以前、80年代初頭の「ラフ・トレード友の会」からの東京ネオアコシーンの流れの解説に多くのページを費やしている。
 多くの偶然の巡り合わせを経て、満を持して登場するのがロリポップ・ソニックだ。ちょうどその頃に音楽業界へ復帰した牧村氏は、彼らの決して音が良いとはいえないデモテープをたまたま手にして、直感的に彼らの才能に気づく。

(略)「ひどいテープなんで」と彼が言うのを聴いてみたら、ピンと来るものがあった。聴き終わる前に「これはすごい」と確信した。
 それがロリポップ・ソニックのライブ音源だった。そのときのカセットテープに入っていた曲が「コーヒーミルク・クレイジー」「ハロー/いとこの来る日曜日」でした。
 それを聴いて「すぐにメンバーと会わせてくれ、スタジオでちゃんとしたデモテープを作るから」と言った。それが彼らとの出会いとなった。
(出典:『渋谷音楽図鑑』P.171)

 Twitterでも書いたが、ロリポップ・ソニックの演奏から才能を見抜いた牧村氏は本当に凄いと思う。当時の本人たちにプロになる気はなかったろうし、オーディションに参加したりするタイプでもないだろうから、もし牧村氏の手元にテープが渡ってなかったら……ぞっとする。
 
 牧村氏が「当事者」として語る、ロリポップ・ソニック(後のフリッパーズ・ギター)との出会い、そのデビューから解散まで。フリッパーズ関連の資料をいろいろ読み漁っている僕でも初めて知るエピソードがいくつもあった。
 
 とくに個人的に興味深かったのが、小山田圭吾・小沢健二の共同クレジット「ダブルノックアウトコーポレーション」の内幕の話。曲の大半は2人の合作で、歌詞はすべて小沢氏が書き、リードボーカルはすべて小山田氏――というのは有名*5だが、本書にはこうある。

 ソングライティングは、基本的に曲が先でした。そして、どの場合も歌詞を書くのは小沢健二でした。ただし、小山田圭吾からの提案で歌入れ時にフレーズが変わることもあった。分かちがたい二人組としてのコンビで作ってました。
 フリッパーズ・ギターというのは、どこまで行っても小山田圭吾と小沢健二が五分五分の関係だった。二人のそれぞれに役割があって、最後まで対等だったんです。
(出典:『渋谷音楽図鑑』P.182~184(太字強調は引用者による))

 「小山田圭吾からの提案で歌入れ時にフレーズが変わることもあった」とは初耳だ。具体的に、どの曲のどのフレーズが変わったのか気になるが――本人たち(とくに小沢氏)は記憶してそうだけど、彼らがそれを明かすことはないだろう。
 
 これは本書に書かれていない話だが*6、7月2日のトークイベントで牧村氏は「フリッパーズ・ギターは太陽だった」と述べた。その心はこうだ。
 牧村氏は、6月27日に都内で行われたコーネリアスのシークレットライブの会場にて、井上由紀子氏*7と再会した。牧村氏の考えでは、フリッパーズの本来のプロデューサーは井上氏で、自分はそれを継いでレコードプロデュースをしただけ。再会の場で井上氏は「だって、あの時の小山田くんと小沢くんは輝いてたでしょう!」と言っていたそうだ。メジャーデビュー前のプロデューサーであった井上氏と、メジャーデビュー以降のプロデューサーであった牧村氏が口を揃えて「輝いていた」「太陽だった」と述べるフリッパーズ・ギター。あまりに輝いていたからこそ、パッと急に解散してしまったことによる喪失感が大きかった。まるでブラックホールのようだった。
 牧村氏は言う。「コーネリアスやオザケンとしての活動もあるが、いまだにファンの人たちの間に欠落感がある。ブラックホールに吸い込まれるように」。牧村氏も、フリッパーズのことをあらためて調べ、書いてゆくうちに、ファンの人たちの欠落した気持ちがわかるようになった――。
 「フリッパーズ・ギターは太陽だった」。完全に後追いのファンである僕にとっても、当時の2人の輝きや、いなくなってからの喪失感は、痛いほどよくわかる。何十回何百回と聴いているのに、ふとした瞬間に、そのあまりの才能のまぶしさに驚かされるのだ。


 
 ちなみに、同日のイベントで牧村氏が明かした話によると、フリッパーズ・ギターには最初「フリッパーズ・ドラム」というバンド名が提案されていたらしい。
 ロリポップ・ソニックがメジャーデビューの際に改名することとなり、ドラム担当の荒川康伸氏*8の案でフリッパーズ・ギターに決まった――というのはファンにも知られた話だが、荒川氏が(牧村氏の話によれば「自分を中心に置こうと」)最初に提案したバンド名は「フリッパーズ・ドラム」だったという。
 フリッパーズ・ドラム……。どうにも語呂が悪い。フリッパーズ・ギターに決まってよかった、と心から思う。
 
 なお、第一章から第五章までは牧村氏の一人称・語り口調で、第六~七章は3人の著者の鼎談形式で書かれているが、いずれも実際は3人の著者と担当編集の林和弘氏が集まって100時間以上話した内容が元になっているらしい。
 また、巻末の参考資料一覧を見てもわかるように都市計画に関する調査にも力が入っているが、これは話し合いのたびに牧村氏から柴氏へ「この仮説の裏付けになる資料を調べておいて」と宿題が出され、柴氏が国会図書館へ足繁く通った成果だという。

第六章:楽曲解析

 本書の白眉。もっともマニアックでありながら、それでいて、とてもキャッチーな章だと思う。
 特定の楽曲を掘り下げる評論・分析のたぐいは雑誌でも書籍でもネット上の記事でもいろいろあるが、ここまで楽曲の構造に踏み込んだものは珍しいのでは?*9

  • はっぴいえんど『夏なんです』
  • シュガー・ベイブ『DOWN TOWN』
  • 山下達郎『RIDE ON TIME』
  • フリッパーズ・ギター『恋とマシンガン』
  • 小沢健二『ぼくらが旅に出る理由』
  • コーネリアス『POINT OF VIEW POINT』

 解析の対象は以上の6曲。一般的に多くの人が知っている「ヒット曲」は『RIDE ON TIME』くらいだろうが*10、たまらない人にはこの上なくたまらない、ツボを押さえた選曲だと思う。もちろん僕も全曲、何度聴いたかわからないくらい好きだ。
 
 実際に選曲・採譜*11・解析をしているのは藤井氏だが、元々この章は牧村氏の提案で書かれたそうだ。それに、サイン会で僕が藤井氏に「楽曲解析、楽譜を読めない自分が読んでもとても面白かったです」と述べたところ「柴さんの書き方が良かったのかも」と謙遜しつつ仰っていたため、柴氏の筆力でうまく噛み砕かれている部分もあるのだろう。まさに、3人の著者が揃ったからこそ成立した企画だといえる。
 
 またこの本の仕掛け自体も面白い。譜面そのものが綴じ込まれているのだ。しかも、曲の中で特徴的な箇所(具体的には「アウトサイドノート」「シンコペーション」「大きな跳躍」「転調」)を強調するため、わざわざカラー印刷されている。
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(※譜面をそのままブログに掲載するとJとかAとかSとかRとかAとかCとかそんな感じの名前の団体がうるさそうなので、(コーネリアスのアー写風に)ピンボケさせている。もちろん実際はくっきりと鮮明な譜面が印刷されているのでご安心を)
 7月2日のトークイベントで柴氏も述べていたが、音楽理論を知らなかったり、楽譜が読めなかったりしても、曲を聴きつつ視覚的に譜面を眺めているだけでけっこう面白いものだ。オタマジャクシの並びを見れば音の有無や上下はわかるし、本書で強調されている「アウトサイドノート」「シンコペーション」「大きな跳躍」「転調」に着目するだけで、今までとは違った角度から曲を楽しめる。

 具体的にどの曲をどのように解析しているか……はネタバレになるのであまり書かないでおくが、どの曲もほんとうに面白かった。この手法で他にもいろいろな曲の解析をしてほしい! と思うほどに。
 たとえば、フリッパーズ・ギター『恋とマシンガン』。
 イントロのスキャットが『黄金の七人』からの引用*12……というのは有名だが、『恋とマシンガン』のキモは、単にイタリア映画のサントラから引用している点ではない。コード進行はスウィング・ジャズで、そして疾走感はパンク譲り*13なのだ。藤井氏はこう評価する。

(略)そのエディット感覚が本当に優れてると思うんです。つまり引用と引用を重ねて編集をした上で新しい曲を作る。
 パンクとジャズと映画音楽を結びつけるその方法論が、フリッパーズは全く新しかった。
(出典:『渋谷音楽図鑑』P.230)

 
 これも本書には載っていない話*14だが、フリッパーズの1stアルバム『three cheers for our side ~ 海へ行くつもりじゃなかった』は全曲英語詞だったため、レコード会社や音楽雑誌からの評判が悪かったという。そこで牧村氏が一計を案じた。フリッパーズの2人に対し、毎日のように「絶対に日本語で歌うなよ、英語で歌い続けるんだぞ」としつこく言い続けたところ*15、ある日2人が、「こんな曲を作ったんですけど……」と持ってきたのがフリッパーズ・ギター初の日本語曲*16となる『恋とマシンガン』だった……という。
 
 また、小沢健二『ぼくらが旅に出る理由』は、この曲のレコーディングに藤井氏自身が参加しているため、「当事者」ならではの裏話も語られている。
 面白かった部分をいちいち引用していてはきりがないので、これはぜひ実際に本書をお読みいただきたい。
 
 自分がこれまで何度となく聴いてきた曲なのに、この楽曲解析をきっかけに新たな聴き方の視点を授かったような気持ちだ。

 ちなみに、本書の発刊記念に作られたミニコミ『渋谷音楽 #001』*17には、楽曲解析の章から漏れてしまった、イエロー・マジック・オーケストラ『TECHNOPOLIS』の章が収録されている*18
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『渋谷音楽 #001』

第七章:二一世紀

 最後の章では、エピローグ的に2000年代以降のことが語られている。
 インターネットの普及に代表される、文化を取り巻く環境の大きな変化。
 今後の都市型ポップスを牽引していくであろうキーパーソン。
 2017年の渋谷の街。
 
 ここまで本書で語られてきた楽曲の大半は発表から20年以上が経ち*19、既に評価が定まっている。これは僕の私見だが、音楽に限らず、文化というものが冷静に消化・評価されるまでには10~20年くらいかかるものだと思う*20
 だから、2000年代以降の出来事・作品の話題だとどうしても生々しいというか、個人的にはなかなか腹に落ちにくい印象だ。そのため、この章に関してはどうにも感想を述べにくい。何年か経ってから読み返すと面白そうな気がする。

 本書の帯に、牧村氏はこう書いている。

(略)
これこそが戦後史であり、
日本のポップ、
ロック音楽の産みの母体です。
やっと僕は自分史と音楽史を
重ね合わせて定本を、
いや底本を創ることができました。
(出典:『渋谷音楽図鑑』帯文)

 
 本書を底本に、これから多くの分析・評論・議論が広がってゆくことに期待したい。
 ……と他人事みたいに書いているが、僕自身が本書を底本にして考えたり書いたりするべきことも、いろいろありそうな気がしている。
 
 最初に書いたとおり、本書は「視点の変化」を楽しませてくれる。
 僕のようにあれこれ調べたり書いたりするのが大好きな人間はもとより、上に挙げたような音楽を愛聴している人、渋谷の街そのものに興味がある人――多くの人が手に取って、この「視点の変化」を楽しんでほしいと心から思う。

渋谷音楽図鑑

渋谷音楽図鑑

 
 なお、牧村氏は次に90年代をテーマにした著書を準備中らしく、Twitterにて90年代に氏がかかわった作品の資料提供を呼びかけている。

 きっと、91年のフリッパーズ・ギター解散以降、トラットリアやSpiral Life、L⇔Rなどの話が多く語られるのだろう。非っ常に楽しみだ。
 もし本稿の読者の中に提供できそうな資料をお持ちのかたがいれば、ぜひ牧村氏宛にお送りいただきたい*21

*1:面白いトークを聞くと(禁止されていなければ)思わず実況してしまう体質

*2:『渋谷音楽図鑑』P.18

*3:『ニッポン・ポップス・クロニクル 1969-1989』や『「ヒットソング」の作りかた 大滝詠一と日本ポップスの開拓者たち』

*4:2017年7月2日のトークショーにて訊いた裏話より

*5:小沢氏の「ドゥワッチャライク」の最終回にも書かれている

*6:あまりに良い話なので、藤井氏が「……牧村さん、なんでこの話を本に書かなかったんですか!」とツッコミを入れて会場が笑いに包まれた

*7:ロリポップ・ソニックのさらに前身のバンド・Pee Wee 60'sを結成し、小山田圭吾をメンバーに迎えた張本人。フリッパーズ・ギターのメジャーデビュー時に脱退。現在は『NERO』編集長

*8:フリッパーズ・ギターのメジャーデビュー時に脱退。ポリスターに入社し、トラットリアを担当。

*9:僕の不勉強もあるだろうが、類似例でパッと思い浮かぶのは、以前NHK Eテレで放送していた「亀田音楽専門学校」くらいか

*10:あとは最近もANAのCMで使われた『ぼくらが旅に出る理由』も?

*11:中でも、はっぴいえんど『夏なんです』は(細野晴臣氏が目を通したような)正式な楽譜がこれまで流通していないため、本書のために藤井氏がイチから採譜したらしい(6月25日のトークより)

*12:Wikipediaには「『黄金の七人』のサンプリング」と書かれているが、もちろんサンプリングではない

*13:フリッパーズでの小沢健二のギター演奏はひたすらダウンストローク。その映像を観た藤井氏は、布袋寅泰を連想したほどだという。また牧村氏によれば、ライブのたびにその激しいピッキングで出血していたらしい(いずれも6月25日のトークによる)。

*14:6月25日のトークイベントで聞いたもの

*15:いわゆる「押すな、押すなよ」

*16:厳密にいうと、ロリポップ・ソニックの楽曲『自転車疾走シーン』の歌詞も日本語

*17:6月25日のトークショーで配布されたほか、一部書店でも本書の購入特典になっている模様?

*18:ただし、真面目な楽曲解析を期待して読むと面食らう内容

*19:第六章までに登場した曲のうち、もっとも新しいものでも2001年のCornelius『POINT OF VIEW POINT』

*20:もちろん、「リアルタイムでの評価には価値がない」なんて言うつもりは毛頭無い

*21:僕は完全に後追いの世代なので、残念ながらまるで役に立てない