1.どうして今、書くことにしたか
1-1.活動再開を迎えた今だからこそ
昨年の小山田圭吾さんの件について、今からでも考えを共有すべきことがあると思い、この文章を書きました。
小山田さんがオリンピック・パラリンピックに関わっていると発表されたのが昨年(2021年)の7月14日。小山田さんが辞任を発表したのが同19日。
当時の騒動を覚えている人は多いでしょう。普段小山田さんやコーネリアスの名前を目にしない人のところまで、広く話題になりました。オリンピック・パラリンピック関連だけでなく、作品のリリースやライブ、テレビ番組のテーマ曲等も含めて、小山田さんの仕事の多くにストップがかかりました。
それから約1年が経った、2022年の夏。
6月17~30日に販売されたアートブック『nero vol.14 VOICE』*1付属の7インチレコードにてコーネリアスの書き下ろし新曲「Windmills of Your Mind」が発表。
7月22日には、昨年7月のリリース直後に配信停止となっていたコーネリアスの楽曲「変わる消える (feat. mei ehara)」が配信を再開し、新たにMVも公開*2。
Cornelius - 変わる消える (feat. mei ehara) - YouTube
来たる7月30日にはFUJI ROCK FESTIVAL '22、8月19日にはSONICMANIAに出演を予定。
小山田さん(コーネリアス)は今夏、作品のリリースとライブの両方で活動を再開しているところです。
いちファンとして、活動再開はもちろん喜ばしい限りです。『nero vol.14』は大慌てで買いましたし、フジロックもソニマニもチケットを購入済です。
ただ、小山田さんの活動再開を祝うこのタイミングだからこそ、1年前の件をどう捉えるべきか、あらためてファンとしての考えを整理しておきたいとも思うのです。
昨年の7月から年末頃にかけて、ありとあらゆる情報の拡散や消費が著しいなか、(小山田さん自身も含め)当事者や近しい人たちによるメッセージも出ましたし、さまざまな立場・考え方の人によって数多くの意見や考え、議論が交わされてきました。
しかしながら、そのときの議論では「小山田さんの過去をどう検証・評価するか」に焦点が絞られすぎていたように感じています(当時の議論が無駄だと言うつもりはないです、念のため)。
これからも小山田さんを応援してゆくためには、過去よりも、現在や未来に目を向けるべきではないでしょうか。つまり、私たちが現在の小山田さんの姿勢をどう評価し、今後に向けてどう応援していくか。その視点こそが重要だと思うのです。
また、議論の過程において、小山田さんに批判的な(あるいは批判的に「見える」)意見を述べる人たちに向けて積極的にアクションを起こす、いわば「タカ派」的な論調が存在感を示していたように感じます。
しかし個人的には、こうした「タカ派」的論調――大事なことなので強調しますが、そうした人たちの考え方や、ひいてはそうした人たち自身を非難するつもりは毛頭ありません。議論するつもりもありません――の中には、賛同できかねる部分も見受けられました。
これはあくまで私個人の見解ですが、過去のコーネリアスのライブの現場やレコーディング作品に対する反響を見ていると、小山田さんのファンには(小山田さん自身がそうであるように)言葉数の少ない、「ハト派」的な人たちのほうがむしろ多いくらいなのでは? と感じています。
少なくとも、ここ1年で私がいろいろなファンの方々と個人的にお話ししてきたなかでは、「自分自身は積極的に意見を発信していないけど、現在多勢を占める論調には違和感を抱いている」といった旨の意見を何度も耳にしてきました。
だから私は、そうした「ハト派」的な応援の形を前向きに提案していきたいとも思うのです。
私はこれまで小山田さんの件について(ブログはもとよりTwitterなどでも)ほとんど公に言及しませんでしたが、昨年後半は多くの時間をこの件のために費やしていました。この文章の執筆自体もそうですし、クローズドな場でもいろいろな人と意見を交わし、具体的にどういったアクションが起こせるか真剣に検討・準備したこともあります(結果的にはさまざまな理由から見送ることになったのですが)。
この文章にも小山田さんの件が大ごとになってすぐ着手したのですが、そもそも難しい問題が複雑に絡みあっている上、事態がリアルタイムで動いており、また個人的にもなかなか執筆に集中しきれない状況が続き、なにより話題が話題だけに自分自身の神経も摩耗してゆく感覚もあり(そういう意味でも、この件に深く密に関わってきている人たちのことは尊敬しています)――公開できないまま、気がつけばちょうど1年が経過していました。なのでこれは、1年がかりで何度も何度も唸りながら書いては削り、書いては削り、の工程を経てきたものです。
――この件、いろいろな種類の問題を含んでいるので扱うのがそもそも非常に難しいですし、誤解や齟齬を招かないためにはどうしても石橋を叩いて渡るような書き方にせざるを得ません。また、主旨としては小山田さんの復帰を前向きに後押しするつもりで書いていますが、読む方によってはすんなりと受け容れられない内容かもしれません。それでも、最後までお読みいただけると嬉しいです。
何かご意見・ご感想等ありましたら、Twitterの@kgrhrk宛のDMか、kagariharuki@gmail.com宛のEメールでいただけますと嬉しいです。可能な限りお返事したいと思っていますが、お答えしきれなかったらごめんなさい。なお、今回非常に込み入った話題なので、Twitterの返信機能や引用RT(=140字制限のあるもの)での回答は控える予定です。
※この文章には、いじめ行為に関する記述が含まれています(ただし、具体的な行為の内容等には触れていません)。ご注意ください。
1-2.筆者のスタンス
まず、筆者である自分の立場や見解を述べておきます。
自己紹介は苦手なので、これまでどんな活動をしてきたかはこのあたりの記事をざっとご覧いただければと思います(どれもこれもボリュームがでかくてすいません)。
「音楽研究家」というよくわからない肩書きを使い、サングラスとマスクを着用した姿で霞ヶ関の文部科学省で記者会見をしたり、宮台真司先生・永田夏来先生との共著『音楽が聴けなくなる日』を上梓したり、あとは音楽等々について自分のペースでいろいろと文章を出したりしています。
小山田さんに対する自分のスタンスをひと言でいえば、音楽のファンです。16~7年くらい聴いてます。
コーネリアスやフリッパーズ・ギター、METAFIVEなど、旧譜も含め主だった作品は集めており、ライブにも可能な限り行き、過去の雑誌記事等も元々(今回話題になったものも含め)多く読んでいるほうだと思います。
ただ一方で、いじめの件を初めて知ったときに、強い嫌悪感を抱いたのも事実です。
私が小山田さんを知った2005~6年頃(コーネリアスのアルバムでいうと『Sensuous』の少し前くらい)いじめの件はもうネット上でかなり有名になっており、小山田さんの音楽を聴きはじめた時期といじめを知ったタイミングは、ほぼ同時だったはずです。
「音楽が素晴らしいから過去の言動なんて気にならない」などと簡単に割り切れることは(少なくとも自分の場合は)全然無く、小山田さんの音楽を愛聴しつつも、いじめの件については常に複雑な感情を抱き続けていました。
いじめそのものや、その内容をメディア上で公言した行為自体もさることながら、こうした過去に対し現在の小山田さん自身がどのような意識でいるのか――そこが不明なことに、大きな引っかかりを感じていました。
どんなジャンルでも、作品が素晴らしくても本人の言動を手放しに称賛できないケースはあります。
たとえば私は2019年、ピエール瀧さんの逮捕を受けてレコード会社により電気グルーヴの作品が回収・発売中止された際、友人とともに署名活動を立ち上げたことがあります。このときの目的はあくまで「作品の回収・発売中止の撤回を求める」(ひいては、犯罪・不祥事等のたびに関連作品が封印される慣習そのものに対する疑問を唱える)ことでした。「犯罪行為を見過ごしてくれ」という話はしていません。
法に触れているのなら、法に則った手順で裁かれる。法に触れていないが倫理的に問題のある行為なら、当事者間で謝罪等をする。罪は罪として、そうあるべきだと思っています(ただし、法や倫理観は時とともに形を変えるものです。常に見直され、更新されてゆくべきでしょう)。
小山田さんの件でいうと、いじめ行為が暴行罪や傷害罪などに該当するとしても時効は長くて10年。とうの昔に過ぎてます。しかし昨年多くの人が反応したことからもわかるように、倫理的には大いに問題のある内容です。長年にわたりネット上で伝えられてきたのもその内容の過激さゆえでしょう。「作品と作者は別物」とは言いますが、この件を理由に小山田さんの音楽から距離をおいていた人も少なくないと思われます。実際、私がコーネリアスを聴きはじめた2005~6年頃、友人との会話のなかでコーネリアスの名を挙げたところ、友人から「いじめの話を見てドン引きしたんだよね……」と言われたことが強く印象に残っています。こうした経験から、私自身も「ファンである」ことを声高には言いづらいなと感じていました。
後でも触れますが、ある時期から小山田さんの対外的なスタンス(インタビュー等での語り口、話題等)は大きく変化しています。また、小山田さんと仕事上で付き合いのある方々の発言を通じ、氏の人柄に関するポジティブなエピソードも少なからず見聞きしています*3。
しかし、私にはそうした対外的スタンスの変化や関係者の発言だけで単純に「小山田さんの本質は、思慮深く善良な人なんだな」とは感じられなかった。むしろ、昨年の夏までは「90年代と00年代以降で表向きは別人のような雰囲気だけど、これで過去のいじめを全然反省していなかったら逆に凄く怖いよな」くらいに思っていました。
オリンピック・パラリンピックをきっかけに小山田さんの過去が問題視されたとき、私は「こんな形で渦中の人になる小山田さんの姿は見たくなかった」と胸を痛め、躊躇無く石を投げる人たちに憤りを感じつつも、同時に「これほど大きな火種になるまで長年放置してきたのだからやむを得ない」とも感じていました。
昨年7月16日に小山田さんから発表されたコメントに対する私の率直な感想は「ホッとした」。過去に対する反省や見解を本人名義の文章で読めて、ファンとしても長年の胸のつっかえがやっと取れたなと思いました。そして、9月15日の文春オンライン(および週刊文春)のインタビュー、同17日の文章ではこれまで長きにわたってこの件に対して言及してこなかった理由にも触れられており、私としては、大いに納得しています。
私のスタンスをまとめます。
- 長年のファンであり、現在の小山田さんによる一連のメッセージの内容は支持している
- しかし、過去のいじめに対しずっとモヤモヤを抱えてきたのは事実ですし、今もなお、手放しで擁護する気は無い
- 活動再開を待ち望んでいましたし、未来の活動――今後の作品やライブなども楽しんで追ってゆきたいと思っている
この上で、本題に入ります。
2.過去のあやまちは厳然たる事実
2-1.本人が過去をどこまで認めているのか
小山田さんの件で、重要な論点だと私が考えているのは以下の3つです。
- 小山田さんの過去のいじめは、どこからどこまで事実なのか
- 現在の小山田さんの姿勢を、私たちはどう受けとめるのか
- 今回の件を踏まえ、未来に向けてどんなことができるのか
最初にも述べたとおり、昨年行われてきた議論はこのひとつ目、過去の話に集中していたように思います。
- 「70-80年代当時の小山田さんが実際にやった行為や、いじめの相手(とされる人物)との関係性」
- 「90年代の雑誌記事に掲載された内容」および「昨年(2021年)時点で『小山田さんの過去の行為』として伝えられていたこと」
これらの間にどれだけ齟齬があるのか、といった話です。
もちろん、その議論を深めること自体はけっして無駄ではないはずです。繰り返しになりますが、調査を進めてきた人たちの行為を否定するつもりは一切ありません。
しかし、実際に小山田さんが実行したことの内容がどうあれ、いじめに関わっていたこと自体は小山田さんも昨年認めています。
「ロッカーに同級生を閉じ込めて蹴飛ばしたこと。それと小学生の頃、知的障がいを持った同級生に対して、段ボールの中に入れて、黒板消しの粉を振りかけてしまったことがあったのは事実です」
出典:『文春オンライン』小山田圭吾 懺悔告白120分「障がい者イジメ、開会式すべて話します」(2021年9月15日公開)
今にして思えば、小学生時代に自分たちが行ってしまった、ダンボール箱の中で黒板消しの粉をかけるなどの行為は、日常の遊びという範疇を超えて、いじめ加害になっていたと認識しています。
出典:コーネリアス公式サイト「いじめに関するインタビュー記事についてのお詫びと経緯説明」(2021年9月17日公開)
同じく、90年代半ばにインタビューの場で過去のいじめを露悪的に公言したことも、現在の小山田さんが認めるところです。
「当時はそれまで同級生の小沢健二と組んでいた『フリッパーズ・ギター』を解散し、『コーネリアス』としてソロで活動を始めた頃でした。自分についていたイメージを変えたい気持ちがあった。そこで敢えてきわどいことや、露悪的なことを喋ってしまいました」
出典:『文春オンライン』小山田圭吾 懺悔告白120分「障がい者イジメ、開会式すべて話します」(2021年9月15日公開)
今あらためて、27年前の自分がなぜあんなに軽率に話が出来ていたのかと思い返してみると、10歳前後の頃の行為に対する罪の意識が、非常に無責任ですが、インタビュー当時においても希薄であったのだと思います。
出典:コーネリアス公式サイト「いじめに関するインタビュー記事についてのお詫びと経緯説明」(2021年9月17日公開)
なので「小山田さんが、決して褒められたものではない行為を、小学生小中学生*4の頃と20代の頃にそれぞれおこなっていた」、このことは厳然たる事実として、どのようなスタンスの人たちもまず共通認識として持っておくべきでしょう。
2-2.友情といじめは矛盾しない
もうひとつ。
「小山田さんといじめ被害者の方の間に友情があった(ゆえに小山田さんを単純に加害者と断ずるべきではない)」とする見方もありますが、この立証は不可能に近いでしょう。
まず、友情の有無を断言できる立場にあるのは、ただ1人、被害者ご自身だけです。
仮に当時の小山田さんに悪意がなく、友人関係の一環として終始接していたのだとしても、被害者の方が苦痛に感じたり、客観的に見て暴力だと判断できる事実があったりしたのなら、それは紛うことなき「いじめ」です。
また、人と人の関係性は一定でなく、たえず変化するものです。
学校に通っている年月のなかで、いじめが存在していた時期と、良好な関係だった時期、その両方があったとしても何ら不思議ではありません。
クラスメイトが「彼らの仲は良好に見えた」と証言しても、それは「いじめは存在しなかった」ことの証拠にはなりえません。
そもそも、仮に被害者の方自身が「小山田さんとはずっと友人関係にあり、いじめだとは一度も感じなかった」と断言したとして、それが小山田さんの過去に対する評価を変える証拠になりうるでしょうか?
前段で書いたように、「いじめ加害になっていたと認識」し、「敢えてきわどいことや、露悪的なことを喋って」いたのは今の小山田さん自身が認めるところです。友情の有無は、いじめの有無を立証する証拠になりません。
3.現在の小山田さんの姿勢をどう評価するか
3-1.極端な言葉は現在の小山田さんを不自由にしかねない
小山田さんの過去に関する議論は、「過去の小山田さんがどのくらい悪いか」の「どのくらい」の部分、つまり「程度」を問う話から抜けられません。
しかも、先述のとおり小山田さんが過去のあやまちを少なからず認めている以上、どれだけ過去にまつわる議論を続けても「過去の小山田さんはまったく悪くない」という結論にはたどり着けません。
過去の小山田さんについて「当時からこういう人間だったはずだ」と強い言葉で定義することは、むしろ「小山田さん像はこうあるべき」と縛りつけ、結果、今の小山田さんを不自由にしてしまうようにさえ見えます。
私が危惧しているのは、ここ1年で、このように先鋭化した言葉や論調がでてきている状況です。
中には、小山田さんの過去を「冤罪」(ないしそれに近いもの)とする意見まで見受けられます。しかし、こうした事実に反する主張が目立つことで、小山田さんの行為を良く思わない人たちの反発は却って増してしまう。火に油です。
小山田さんの過去に対するいきすぎた擁護は、現在の小山田さん自身の言葉や姿勢までも否定してしまうものであり、さらなるバッシングの呼び水にもなりかねません。
3-2.元通りとはならなかった活動について
冒頭で書いたとおり、小山田さん(コーネリアス)の活動は今夏、徐々に再開しています。
しかし一方で、元通りとはならなかった活動もあります。
たとえば、METAFIVE。
小山田さんを含む6人の豪華メンバーが集まった凄すぎるバンドですが、2ndアルバム『METAATEM』が昨年8月のリリース直前に発売中止。この『METAATEM』は昨年11月に変則的な形(配信ライブのチケットとセット販売)で限定的に出回ったのを経て、先日ついに正式リリースの報が出ました。――が、そこには「ラストアルバム」「最後のスタジオレコーディング作品」という言葉も添えられています。
メンバーのうち2名(砂原良徳・LEO今井)はTESTSETという名義*5で現在もフェス等に出演しMETAFIVEのレパートリーを演奏していますが、母体であるMETAFIVEの活動再開は無い、と(メンバーの口からではなくアルバムをPRする文言のなかで)急に断言されてしまった状況です。
そもそも発売中止となったことの理由が明確に語られず、昨年の時点で非常に疑問点の多い措置でした。個人的な気持ちとしては、ピエール瀧さんの逮捕を受けて電気グルーヴの作品が販売・配信停止となったときのそれに近いですし、こうした経緯も含めて、今回の正式リリースは手放しに喜べないのが正直なところです。
ただ、METAFIVEの場合はバンドの「会長」にあたる高橋幸宏さんの病状も少なからず関係しているでしょう。小山田さんの件が無かったとしても、昨年は6人揃った状態でのライブ活動が困難だったと思われます。
そもそもMETAFIVEは幸宏さんが出演するライブイベントのため特別に組まれたバンドで、最初のレパートリーは幸宏さん関連の楽曲のセルフカバーのみ。このメンバーでオリジナルの曲がいくつも書かれ、レコーディング作品が複数生み出されただけでも大変な奇蹟だったと思います。
幸宏さん関連でいえば、YMO散開から20年以上(再生からも10年以上)を経た00年代半ばに幸宏さんと細野晴臣さんのユニット・Sketch Showが坂本龍一さんをメンバーに迎えHuman Audio Spongeと名乗り、やがてYellow Magic Orchestraとして再度活動するようになった例もあります。
メンバーの皆さんが息災でさえあれば、いずれ、TESTSETが小山田さんや他のメンバーの方々をゲストに迎えるとか、あるいはまた別の機会で再び組むとか、そうした可能性はいくらでもあり得ます。
だから、METAFIVEについては、何よりも先ず高橋幸宏さんの快復を願いたいと思っています。
たとえば、『デザインあ』。
コーネリアスが音楽のすべてを手がけるNHK Eテレの番組『デザインあ』は、昨年夏から放送を休止。それが今年7月に『デザインあneo』というタイトルで1年ぶりに復活し、単発の特集番組扱いではありますが2日連続で新作が放送されました。ただし、音楽の担当はコーネリアスではなく、「蓮沼執太、青葉市子 ほか」となっています(詳しい参加メンバーは蓮沼執太さんのツイートをご参照ください)。
この『デザインあneo』が発表されるや否や、小山田さんの不参加を非難(あるいは揶揄)するハッシュタグ・アクティヴィズムがTwitter上で見受けられましたが、個人的には大いに違和感のあるものでした。たしかに、『デザインあ』において小山田さんの果たした役割はきわめて大きい。しかし、コーネリアス単独の作品でもありません。むしろ佐藤卓さんや中村勇吾さん達との才能のアンサンブルによって生まれた合作とも呼ぶべきものでしょう。小山田さんの不参加を理由に番組を非難するのは、他のスタッフ、特に新たに音楽を担当することになった方々の仕事までも否定しているように見えてしまいます。
私自身、『デザインあneo』のスタッフにコーネリアスの名前が無かったことに正直最初はがっかりしました。ただ、蓮沼執太さんや青葉市子さんといった人選を見て「これはこれで観たい!」と思ったのも事実です。蓮沼執太さんの音楽のイメージはコーネリアスのそれと遠くないところにありますし、青葉市子さんも元の『デザインあ』の音楽にボーカルで参加している。小山田さんからのバトンをうまく繋いでいくにあたり、かなり理想的な座組だと思いました。
果たして、実際に放送された『デザインあneo』を観てみると、思った以上に違和感がない! というか「これ小山田さんもノークレジットで参加してたりしない?」と感じたくらい。個人的な好みでいえば、もうちょっと新しいことをやっても良かったんじゃないかなあ、とも感じましたが、バトンの受け取り方としては全然間違ってないでしょう。
これから『デザインあneo』が続いてゆけば、いずれ旧『デザインあ』の再放送や、『デザインあneo』への小山田さんの再登板の可能性も出てくるでしょう。そのためには、ともすれば攻撃的にもなり得るハッシュタグ・アクティヴィズムによる非難よりも、番組の再開を後押しするべきだと思うのです。
3-3.「待つ」こともひとつの応援の形ではないか
小山田さんの活動再開が発表されるまでの間、結果からいえば、私は表立って行動を起こしませんでした。あまり前向きな考え方に見えないかもしれませんが、「時間が経つのを待つ」ことも大切だと思っていたのです。METAFIVE的に言うなら「Don't Move」。
私が以前ミュージシャンの活動自粛とその後の復帰についてさまざまな事例を調べたとき*6、復帰のきっかけになっているのは「ファンの応援」と、もうひとつは「時間の経過」だと感じました。
もちろんファンの後押しは大事です。ファンが見切りをつけたら復帰しようにもできない。
では、ファンの応援さえあればどれだけ非難に晒されようがすぐに復帰できるのか? そこには時間の経過も不可欠でしょう。「人の噂も七十五日」と云うように、常にさまざまな物事が炎上の火にくべられているなか、小山田さんの過去に対して強い怒りを持続させている人は、減る一方にあるはず。また、当事者や周囲の人たちを取りまく状況が一旦落ちつくまでにも、やはり少なからず時間を要すると思うのです。
さらに、先に書いたとおり、いきすぎた擁護や事実と反する主張は、却って新たなバッシングを招くおそれがあります(擁護そのものを否定しているのではありません)。「タカ派」的な論調が存在感を示していると、そういったリスクも増してしまう。
これも冒頭からの繰り返しになりますが、小山田さんのファンには、「ハト派」的な人たちが多いように感じています。
なんというか、コーネリアスのライブに来ている方々が普段どんな文化圏に属しているのか、正直よくわからないんですよね。普通、キャリアが長くてファンも多いミュージシャンの現場だったら、会場の最寄り駅からの道すがら見かける雰囲気でなんとなく「あ、この人たちは同じ会場へ向かっているな」とか見当がつくと思うんです。でもコーネリアスだとそういう感じがほとんど無い。というか、会場に入ってもなおオーディエンスの雰囲気が掴みきれない。そしてライブ中の歓声や拍手等も基本的に控えめ。クールというかおとなしいというか――コーネリアスのライブに行ったことのある人なら、なんとなく同意してくださるんじゃないかと思います。こういった経験から、コーネリアス、小山田さんのファンには「ハト派」な方が多そうな印象があるのです。
なので、声に出さず、アクションも起こさず、敢えて「待つ」ことで応援していたファンは決して少なくないと思います。言い換えると、今この文章を読んでくださっている方が「自分は1年前に何も声を挙げず、アクションも起こさなかった」などと引け目を感じる必要は全く無いでしょう。「待つ」ことも、ひとつの応援の形です。
4.未来に向けて、どうするべきか
では、小山田さんの活動再開にあたり、「待つ」時間を過ごしてきたファンは今後どうしてゆけばいいのか。これはもう言うまでもなく、活動を歓迎することで「待ってました!」という意思を表明していくべきでしょう。ストリーミングで聴く、YouTubeでMVを観る、ライブに行く、グッズを買う――リスナーとして、オーディエンスとして、カスタマーとして、各々の時間やお金などが許す範囲で楽しんでいけばいいんだと思います。言葉数の少ない、ハト派的な応援でも全然構わない。
小山田さん自身も言葉数の少ないミュージシャンです。個人的な考えや作品を言葉でどんどん発信していく表現者もいますが、小山田さんのスタイルはその対極といって良いでしょう。
ただ、初めからずっと言葉少なだったのではなく、(それこそ昨年さんざん俎上に載せられた90年代のインタビューがそうであったように)露悪的な冗談等をよく口にしていた時期を経て、アルバムでいうと2001年の『POINT』あたりから明確に変化しています。音楽的にも余白の多い作風にガラッと変わり、いわゆるアー写も顔を見せないものがほとんどとなり、そうした変化と同調するようにインタビュー等での口調も以前よりずっと慎重になっている。
ともかく、少なくともここ20年くらいは、「我」を出すタイプのアーティストではないのです。かといって無個性なわけでもなく、コーネリアスの音楽には聴けば一発でわかるほど確固たる「らしさ」がある。そぎ落とした中に光る圧倒的な個性や魅力。そこが音楽家としての小山田さんの凄さでしょう。
今年5月、フジロックとソニマニへの出演発表のタイミングに合わせて小山田さんから発信された「活動再開のご報告」は、こんな言葉で締められています。「今後の音楽活動において、自分にできる精一杯の仕事でお返しできるよう、努力していきたいと思います」。
【活動再開のご報告】【Resumption of Activities】#cornelius #コーネリアス #小山田圭吾 #keigooyamada pic.twitter.com/gifzgT1qc8
— Cornelius Info (@cornelius_news) 2022年5月25日
言葉以上に音を追求して、国内外で支持・評価されてきた人です。だから、ファンも特別に気負うことなく、各々のスタンスで、小山田さんが今後発表してゆく新たな音の数々を楽しんでいけばいいのだと思います。その延長線上にきっと、昨年に一度ストップしてしまったさまざまな活動の再開の可能性もあるでしょう。
先に挙げたMETAFIVEや『デザインあ』にしても、元から関わってきた人たちが、TESTSETや『デザインあneo』と看板を変えつつもそれまで続けてきたことをなんとか繋ごうとしている。もっとも、いちファンの視点から見てそこまでの経緯に引っかかりがまるで無いといえば嘘になりますし、おそらく関わっている方々の中にもさまざまな葛藤があるものと思われます。ただそれでも、未来に向けて「続けていく」ことを選び、行動している方々のことは応援してゆきたいです。METAFIVEも『デザインあ』も、小山田さんが関わっていない部分も含めて好きだから。
だからまず今はフジロックやソニマニが何より楽しみですし(ソニマニはコーネリアスとTESTSETの両方が出ます! タイムテーブルが重ならないことを願う)、その先もきっと、コンスタントに活動が続いていくのだろうと思います。コーネリアス名義のオリジナルアルバムのリリース間隔がめっっっちゃくちゃ長いので(『Sensuous』から『Mellow Waves』まで11年!)なんとなく寡作なイメージがあるかもしれませんが、サウンドトラック*7やバンド活動*8、プロデュース/リミックスワークなども含めれば小山田さんは常に何かしらの活動をなさってきています。逆に、外部と関係するプロジェクトが途切れたこのタイミングだからこそ、たとえば次のオリジナルアルバムが意外に早く聴けたりするのでは――とか、前向きに期待してもいいんじゃないでしょうか。
(最後に、今回この文章を公開するまで1年ほど試行錯誤を繰りかえす間、いろいろな人の意見や考えを伺ったり、この文章の草稿をご覧いただき感想を頂戴するなど、たくさんのご協力をいただきました。また、文中でも何度も書いているようにこの1年で本件に関わってこられた方々にも(考え方・スタンス等の違いこそあったり無かったりするものの)参考とさせていただいた部分が多く、尊敬の念を抱いています。直接的、間接的にせよ、協力してくださった全ての方々に敬意と感謝を申し上げます)
公開後に加えた補足
「タカ派」「ハト派」といったキーワードについて(2022/07/25 14:30追記)
本文中にて「タカ派」「ハト派」といった言葉でファンのスタンスを表現していますが、実際はこんな簡単に二つのグループに分けられるものじゃないと思います。グラデーションがかかっていたり、もっと入り組んでいたりするでしょう。
「タカ派」的な論調が圧倒的に目立つなか、そこにどうにも違和感のある人や肩身の狭さなどを感じている人などに向けて、そうしたスタンスを肯定する上での補助線的なキーワードとして用いたものです。本文中で何度も強調しているとおり、「タカ派」的な論調で活動してきた方々にも深い敬意を抱いています。
だから、「タカ派批判」の意味で書いたわけではないですし、ましてや「タカ派vsハト派」みたいな対立構造をつくりたいわけではありません。そのあたり、説明不足だったと思うので補足いたします。
(もうひとつ、念のため補足すると、「タカ派」「ハト派」って元々は政治用語だと思うんですが、当然ながら今回の話に政治的な意味合いをもたせるつもりも一切ございません)
ツイートによる2点の補足(2022/07/28 14:00追記)
1)本文中に「ツイートで回答等しない」と書きましたが、回答するしない以前の話なので2点だけ。
— かがりはるき (@kgrhrk) 2022年7月28日
大前提として、内容に対する批判は受け容れます。もとより全ての人から100%同意いただけるとは思ってないので、いろいろなご意見ご感想を興味深く拝見してます。その上で、本題。https://t.co/MFfijJiO9i
2)私が文中で明確に否定したりそもそも触れてもないことについて「この筆者はこういう考え方だ」と憶測で断定する言葉をいくつか目にしていますが、どれも心当たりが無いです。
— かがりはるき (@kgrhrk) 2022年7月28日
そうやって、本人がやってない/口にしてない事柄まで含め拡散されたことで大ごとになった事例、ご存知ですよね……?
3)また、批判は受け容れますが、その際に「駄文」「臆病」「幼稚」など過度に攻撃的な言葉を使う必要はありますか?(引用したのはあくまで一例。他にも複数見ました)
— かがりはるき (@kgrhrk) 2022年7月28日
小山田さんに対する心ない言葉に胸を痛めてきたのなら、そうした表現を進んで用いるべきではないでしょう。https://t.co/cHOAqr2dBq
4)今回戴いてるご意見ご感想は、批判的なものも含め、気付かせていただくことがすごく多いです。特にDMはいずれも思いや考えが詰まっており、私も真摯にお返事しなきゃ、と背筋の伸びる思いです(返信遅れててすみません……)。
— かがりはるき (@kgrhrk) 2022年7月28日
だから、異なる意見を頭ごなしに拒否するとかそういう話ではありません。
*1:伊勢丹新宿店で行われたイベント「VOICE - nero 10th anniversary」およびオンラインストアでの限定販売。ちなみに『nero』を手がけているのはフリッパーズ・ギター(の前身のロリポップ・ソニックのさらに前身のPee Wee 60'sから)のオリジナルメンバーでもあるライターの井上由紀子さん。過去の『nero』では井上さんによる小山田さんへのインタビューが掲載されたこともあります
*2:この曲はAmazon Musicの企画「Amazon Music presents Music4Cinema」のために書き下ろされた楽曲で、昨年7月7日に楽曲がAmazon Music限定で、この曲を用いた短編映画が同14日にYouTube等で公開されていましたが、いずれも(まず間違いなくオリンピック・パラリンピックに関する件の影響で)配信停止となっていました
*3:その中には、いじめの件とそれによる露悪的なパブリックイメージが広まっていることに対する擁護の意味をこめたものも多かったのでは? と、個人的には思っています
*4:【2023年12月19日追記】上で引用している「ロッカーに同級生を閉じ込めて蹴飛ばしたこと」については中学生の頃の話、との指摘をいただいたので「小学生」としていた部分を「小中学生」に訂正しました。
*5:昨夏のフジロックにおいてMETAFIVEはこの2人にサポートメンバーとして白根賢一・永井聖一を加えた編成で出演。その後、今年2月に「METAATEM(砂原良徳×LEO今井×白根賢一×永井聖一)」名義でフェスに出演すると発表された後、3月に同じメンバー編成のまま「TESTSET」へ改名。改名の理由は「アーティストの都合により」とされています
*6:その際の成果(の一部)は拙共著『音楽が聴けなくなる日』(集英社新書)の巻末に載せています
*7:『デザインあ』『攻殻機動隊ARISE』等
*8:YMO、Plastic Ono Band、METAFIVE